展示詳細

最後の旧暦

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展示場所

項 目 内 容
点数 1
標本・展示の種類 実物
時代 1872(明治5)年
解説 江戸から明治へと時代が変わり、それまでの太陰太陽暦は明治政府によって、西洋と同じ太陽暦に改められた。
明治5年11月9日に出された改暦の勅令は、その年の12月2日の翌日を、20日以上も飛ばして明治6年1月1日に変更するというものだった。11月ともなれば翌年の暦は既に定められ、印刷・出版も始まっていた時期である。それを無視して急に暦のシステム自体を変えてしまおう、というのであった。それまで使っていた天保暦に合わない自然現象が、突然発見された訳では無論、ない。
明治政府は、公務員に支払う月給の資金繰りに苦しんでいた。太陰太陽暦を使い続けた場合、旧暦の場合閏年には月が13、つまり月給を13回支払わなくてはならないことになる。そして改暦される前、明治6年は閏年となる予定であった。ただでさえ資金難のところに支出が13回というのでは明治政府もさぞや困窮したものだろう。改暦によって明治6年を平年として、まず1月分の月給支出を減らし、明治5年についても、たった2日しかなかった12月の月給は、働いた日数が少なすぎるとして支給をしないこととした。このように改暦は明治政府にしてみれば理想的な経費削減策だったのである。
展示場所1(フロア) 日本館1F南翼 自然をみる技
展示場所2(コーナー) 1.天を知る -天球儀・天文-
展示場所3(項目) 1.日本の暦の移り変わり
分類 理工